「ベィリーさんという友人」笠間達男

 今、机上にあるのは、ある時、ベィリーさんが、「これ差し上げるわ」 とくれた「少女」と題する直径65ミリの銅のメダルである。  作者は舟越保武で、1987年に普連土学園創立百周年記念に作られたものである。 ベィリーさんが舟越さんに制作を依頼したというそれは確か舟越桂の彫刻を話題 にした直後のことだった。私は普連土学園の教育に興味があったので、私と同じ 世代の戦争中の学園の話を聞き、ベィリーさんの原点を理解したような気がした。  私は好奇心の強い美術好きで二〇歳代から銀座界隈の画廊めぐりをしている内に、 幾つかの画廊と縁ができ、その中に「みゆき画廊」があった。 ベィリーさんとの会話は「いいねー」などの簡単な 感想を述べるだけのことが多かったが、私でも手が出せる版画などを買うことも あった。しかし、思い出してみても、ベィリーさんから購入を勧められたことは ない。私はコレクターではなく、生活を潤す道具として美術品を購入する。 私は人付き合いはあまりしない質だが、ベィリーさんを心を許す女友達だと 思っていた。 私はベィリーさんの亡くなった年につれあいを亡くした。 ベィリーさんの追悼の最初の催しで購入した「INORI」という瀧 徹さんの 小さな彫刻が仏壇の前にある。そこで、彼女らの冥福を祈りながら般若心経を 書くのが私の日課となっている。   笠間達男  1927年生まれ/元都立芸術高校校長/教育に関する著書多数

牛尾の思い出 1

    ベィリーさんの事を書いてくれる方を募集中ですが、なかなか現れません ので、今回も牛尾が書く事にします。   「ベィリーさんは生まれたときからベィリーさんみたいに可愛いかった」 と野見山暁冶さんが、著書アトリエ日記に書いていますが、 本当に可愛い人だったんです。   おおきな目に、マッチ棒が二本は乗りそうな長いまつげ、 決して鼻は高くないのですが… 初めて会った時に「こちらがベィリーさんです」と紹介されましたので、 外国人だと思い込んでいました。   それに、その可愛らしい顔に似合わずきりりとした身のこなし、歯に絹着 せないストレートな発言は異国の人のように思えました。   いえ、半分はアメリカ人だったかもしれません。 それと言うのもジャック・ベィリーさんと結婚し、結局離婚する事にはな りましたが、亡くなるまでアメリカ国籍のままでしたから…   そんなモダンなベイリーさんが、お相撲が大好きと知った時は意外な感じ でした。 とにかく好きなんです。 毎晩相撲ダイジェストを欠かさず観ていました。 どの関取の事も詳しく、今生きていれば相撲審議会に参加できたかもしれ ません。   ひとつ相撲にまつわる思い出がありますのでご紹介します。   画廊が終わった後、画家の野見山暁冶さんのアトリエでそのお弟子さん達 との集まりがあり、少し遅れて行くとテレビで相撲ダイジェストが始まっ たそうです。 ベイリーさんがお相撲を好きなことを野見山さんがご存知だったのか、 全ての取り組みの勝敗を当てたら野見山作品油彩画の小品をプレゼント しようと言うことになったそうです。 そこの場所へ行くまでは画廊で仕事をしていましたので、もちろん、 大相撲中継を生で見られるはずはありません。 けれど、ベイリーさんは全ての取り組みを当ててしまったらしいのです。   プレゼントされた作品を見る度に、ベィリーさんは笑顔でその話をして くれました。 その作品はとてもいい作品でしたので、取り組みを全部当てた事よりも それをプレゼントされた事の方が嬉しかったのかもしれません。